株式会社アーヌエヌエ

お知らせ

またまた世の中緊急事態宣言発令。
今日筆を執っている4月25日から、私の住む東京はまた戒厳令が敷かれました。
私は政治を語るのを公ではしない、そういう信念なのでここまでにします。
が、一言だけ言うならば「金ももらって頭もあるならもう少し真剣に考えようぜ」

前号では中学校に入るまでの我が人生を振り返りました。
なぜこんなことがキャリアを考えるうえで必要なのか。
子供の頃は野球選手になる!サッカー選手になる!!歌手になる!!!それも夢。
お嫁さんになる!ケーキ屋さんになる!!花屋さんになる!!!それも夢。
でもそうなった人ってどれぐらいいるんだろう…多くな狭き門で儚い夢であったり、また成長するにつれて興味関心が変わってまぅたく違う人生を歩んでいたり。

でもキャリアチェンジを考える時は今一度自分の人生を振り返ってみていいんじゃないかなぁ。何が好きで何が嫌いだったか、何が得意で何が不得意だったか、なんで好きでなんで嫌いだったか、なんで得意でなんで不得意だったか…。
その中に次のキャリアを考える重要なヒントがあったりしないかと考えるのです。

でも好きなことをできる人なんて本当にごく僅かで、多くの人が仕事に就いてみて好きになって、その中で夢を叶えていくもの、そう考えて欲しいことを付け加えておきます。

プラモデルが得意だった少年が、今や歯科技工士で頑張っています。
手先の器用さを最大限に活かせた仕事、きっと転職を経て幸せですよね!?
0より小さな数字が出てきた小学生時代から算数が大の苦手になり、それから先は算数、数学と赤点しか記憶のない少年が、縁あって保険会社に入社して目を見張る活躍する、これ実は私のことですwww
嫌い、苦手も、成長を経て克服することもあるのです!

そんな杉山少年の中学時代をTrack.5では振り返りたいと思います。

小学校は学区で一番遠い方だった私、中学は自宅の真裏で徒歩3分ぐらい、恵まれた環境でした!?どうしてかって??この頃って一番難しい時代ですよね!?トイレで大するだけでイジメにあうようなそんな時代。
私は自宅に大をしに帰っていた記憶がありますw
中学校ではテニス部に入りました。
当時、『エースをねらえ』が流行っていて、その影響でテニス、でも中学には軟式しかありまでしたけど…。毎日毎日、日が暮れるまで、そして土日も練習頑張ってました。
顧問の先生はまさにエースをねらえのコーチである、宗形仁を意識した?狙ったかのような風貌で、そして女子の面倒しか見てなかったような覚えがあります。
だから毎年女子は強い、男子は??でもウチの代はクジ運にも恵まれて、中学校3年の時には地元小田原市の団体戦で準優勝したんです。

派手な3本線のadidasのユニホームにアルミのシャフトの銅色のラケットは割と地域では目立っていて隠れ?杉山ファンも他の中学にいたように聞いてました。
中学でも同級生にモテずとも後輩にはチヤホヤされていたような…。
でも本当は小学校からの初恋の子がテニス部にいて、その恋は叶わなかったんだよね。
今では隠すこともなく公然とその名前を多くの友達に自らバラしてます。

そんなことよりもテニス部での記憶と言えば、苦い経験のが今でも残ってるかなぁ。
なぜか私はキャプテンに指名されました。
当時のメンバーはなかなかいいメンバーで、そのまま3年間一緒にできればたぶん準優勝どころか、もっといい線行ったんじゃないかなぁと思います。
そのまま3年間?そうなんです。私がキャプテンとして機能せず、多くの仲間を失ったのです。
理由は聞いた訳ではありませんが、たぶん自我欲求が強くて傲慢強引でみんなに背を向けられたのだと想像します。
私はチームで2番手でしたが、1番手の前衛と私のペアも退部してしまいました。
この経験、大いに生きたのは遥かあとの38歳ぐらいだったかもしれません。
人間、立ち場に溺れ、成績に自惚れ、まったく愚かだなぁと今でも思います。

たぶんその中学生時代には克服できたとは思いません。
ただ、当時の1年下の後輩と組んでそれ相応に頑張り、その後輩たちは我々の代の夢を果たし小田原市で優勝した、高校生になった私はその優勝の光景を応援に行って間近に見て、涙ぐんだ記憶があります。

方や部活以外はどうだったのか。
我が中学校は学区が併合されることなく小中と同じメンバーでした。
実は誰よりも早く?彼女ができました。
彼女と言えるのかどうか、その時代は今とはだいぶ違うので中学1年で男女の付き合いなんてあんまり想像できない年頃。
1年強のお付き合いだったと記憶していますが、その間のデートらしきものは友達を互いに連れて行った映画、それと一緒に帰ろうと言って中学から自宅に向かい分かれ道までの2分程度(お互い自宅が超近かった…)あとは交換日記。

その交換日記やお互いにプレゼントにあげたりしたものを冷やかされ、からかわれて繊細なまだ未熟な精神の13歳ぐらいには辛い思い出も多々。
でも一番悲しい思いをさせたのはその彼女だと今でも思っています。
これ以上はここに書けないけど、書きながら十分に自己対峙できました。

その彼女と実は40年近くぶりにSNSながら話すことができました。
今の時代に感謝するしかありませんね。
実家に帰って彼女の営む店にぜひ一度足を運びたいと思っています。

 

みなさんはどの時代の話が楽しく話ができますか?
今でも振り返って楽しかったと思える、正々堂々と話ができる時代がありますか??

驚くかもしれませんが、私にとっては中学の3年間が一番日の目を浴びることのない、自らが隠している時代かもしれません。
たぶん自らが率先して話すことのない、いい思い出があまりない時代なのかもしれません。
でも今日ここで書くことで当時の3年間をいろいろ思い出すきっかけになりました。

イジメって経験ありますか。
するもされるも必ずどの時代にも存在する問題ですよね!?
私も決して酷いイジメではなかったのかもしれませんが、それは受けた側がどう思うかなので、私にとってみたらそれは苦しい悲しい経験だったように思います。
だいたいひょんなきっかけからイジメに発展したりするものですよね。
だから私にとってみたらパンドラの箱を開けるようなもので、今こうして書き綴ることで自分の人生を認めて振り返っているように思います。
なのでこのコラムを書くことが大きな意味合いがある、たぶん私を知る人、今の私を知る人は杉山さんにそんな経験あったの?って思うはずです。
でも自らに戒めるように、今回は言わせてもらいます。
良いも悪いも、好きも嫌いも、得意も不得意も必ず一旦受け入れる、特に悪い、嫌い、不得意こそが自ら塞いでしまう、認めたくない過去や記憶だったりします。
でもそこにこそ自分、それを含めてこそ自分、自分の人生なのです。

さて、中学校3年間遡ってみました。
神奈川県にはアテストと言うものが存在していて、中学校の2年で受けるこのテストで進路がほぼ決まってしまいます。
私は自宅から一番近い学校に行きたいと予てから決めていました。
一番上の学校に入る実力は全くなかったので、照準はもうその学校に当ててました。
自宅から自転車で通える高校、西湘高校こそが私の今の人生に大きな影響を与えてくれた居場所でした。
たくさんの仲間や先生との出会い、楽しい経験や辛い経験も最高な思い出です。

次回は私の骨格をなしている、高校時代をひょっとしたら2分割にしてお届けしたいと思います。

~つづく~