株式会社アーヌエヌエ

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YELL~あなたへの応援歌♪2022Track.1~ 『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~プロ野球選手のセカンドキャリア事情③~』

2022/01/01 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌♪2022Track.1~ 『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~プロ野球選手のセカンドキャリア事情③~』

新年あけましておめでとうございます。 2022年、令和だと4年?(だんだん和暦が危うくなります)ですね!? 今年はどんな年になるんだろう…ワクワク、ドキドキ、ソワソワ、ヒヤヒヤ、去年がイマイチだった人も、去年がサイコーだった人も良くも悪くも一旦リセット、リスタートできるのが新年です。 お読みの皆さんも新しい年、良し悪しは自分次第と思って1/365歩の最初の一歩を踏み出してください。   およそ昨年の10月から野球選手のセカンドキャリア支援をしてきました。 今年はセミナーで全国行脚できずに歯痒い思いもしましたが、キャリアの相談をしてくれた選手には全身全霊振り向けて対峙してきました。   この年末、晴れて内定をもらえた選手がいます。 彼との対峙を2022年の筆初めとしたいと思います。 私のキャリア面談は人生のバイオリズムを互いに確認することから始めます。 丁寧に歩みを遡りながら、「人生最高の時、俺イケてる、絶好調の時、いつだった?」 「どんな出来事があってどんな気持ちを抱いてた?」逆に「人生最低の時、俺全然ダメ、絶不調の時、いつだった?」「どんな出来事があってどんな気持ちを抱いてた?」   彼の人生最高の時は高校1年、投手として強豪校の2枚看板を背負い、どちらかと言えば現在NPBで活躍しているもう一人より注目を集めていた彼。 高校2年で肘の手術をしてからは思った投球ができずに大いに悩み迷ったそうです。 それからと言うものの自問自答、試行錯誤、紆余曲折、一進一退、こんな言葉が術後の彼の野球人生だったように思います。 短い投球数ならばいい球が投げられる、だから抑えに転向した。 でも真の実力を評価してもらうには投球数が少なすぎるのか、調査票が来ないことはこれが原因と考えて先発に転向するものの全く勝てずにチャンスをものにできず、また抑えに逆戻りする3年間。 『なぜなんだ!』『こんなはずはない!』『まだできる!絶対できる!』こんな思考が彼を諦めさせずに野球に向かわせていたのだと感じました。   彼は今、自信を失っています。 自信満々だった高校1年をピークに手術を経て、思うような投球ができずに失った自信。 肘を労わりながら、怪我をしないように、繊細に投球フォームを確認する、こんな彼の野球への向き合い方が性格も変えてしまったかのよう。 やがて私生活でも周囲の目も気にしながら言葉も行動も慎重に選ぶ彼。 「でもあなたはちゃんと自分を掴まえている、自分と向き合うことができている、それは素晴らしいこと」私はそう最初に話を切り返したのを覚えています。   「新しい人生で自信を取り戻す、そんな就職できたらいいね」 「あなたのその繊細さは今となればあなたの強さ、あなたらしさ、きっとそれに相応しい仕事があるよ」 「自分に無理はしないでいい、今の自分を存分に出して評価してくれる会社を選ぼう」 そんなやり取りを続けながら選んだ会社、そこから一発必中で内定を頂けました。   「おめでとう!内定出たよ!!すごいじゃん!!!」 その電話口でいつもより幾らかトーンの高い声で「ありがとうございます」と言ってくれた彼、きっと新しいフィールドで経験を積んで自信を取り戻してくれると思いました。   履歴書も職務経歴書もそりゃそのまま出せない彼ら(笑) ヒヤリングしながら彼らに成り代わって言葉を選んで一緒に作る応募書類。 だからこそ内定が出ると自分が合格したかのように嬉しくて嬉しくて(涙) この仕事、本当に面白い、やりがいがある、俺のラストジョブに相応しいって最近そう思う。 2022年はもっとたくさんの選手たちの未来に関わっていきたい、そう思う元旦です。   先日、去年一昨年とお世話させてもらった選手たちと酒を酌み交わしました。 オンラインでしか会ってなかったメンバーもいて、なんか年甲斐もなく気恥ずかしい想い。 それぞれに新しい人生をスタートしててそれは悲喜こもごも、転職決めたやつ、仕事に悩むやつ、楽しく仕事できてるやつ。   昔から『3年頑張れ』ってよく言ってたし、自分も最初の就職は3年頑張った。 最初の就職は求職者もそして求人企業も見誤る、そんなの実は至極当たり前のこと。 ワンチャンで互いに完璧に理解することは難しい、互いに表面しか見れてなくて本当の姿は入社してから解るものだったり。 多くは好きな仕事を選んだのではなく、仕事をするうちに好きになってく、好きになる努力をしているもの。 それが仕事ってもんだよ、選んだ責任とその上での覚悟。   でもこの仕事をして多くの求人票を目にし、改めて訂正の上でこう言いたい! 『少なくとも最低1年頑張れ』 残酷にも1年未満の早期退職ではなかなか次の選択肢が少ない、選べたとしても『そんな会社』かもしれない、そう考えて欲しい。 万一次の就職しくじったら、もう次がないと思ってちゃんと真剣に選びなさい。 ジョブホップするな、キャリアはビルドアップしなよ。 そんな世話焼きおせっかい男の私にはジョブホッパーがご馳走かもしれない。 つづく

YELL~あなたへの応援歌♬ 2021Track.12~『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~プロ野球選手のセカンドキャリア事情②~』

2021/12/01 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌♬ 2021Track.12~『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~プロ野球選手のセカンドキャリア事情②~』

今月もプロ野球選手のセカンドキャリア支援を通じたキャリア構築へ思い馳せる雑感を寄せたいと思います。   お陰様で先週、サポートしていた選手の内定が出ました。 我が事のようにうれしい限り(涙) さて彼がなぜ内定を勝ち取れたのか!?それはズバリ彼の持つ『素直さ』だと考えています。   子供の頃から野球しかやってこない、高校を卒業して野球を続けるためにクラブチームを持つ会社に就職、でももっと野球に専念したいとNPBを目指すべく独立リーグへ歩みを進めた、今年25歳、結婚もし子供もでき、夢を追いかけるのを諦めて支えてくれた家族へこれからは恩返ししたいと新しい道を選択した。   私のキャリア面談は求職者の生きてきた道を遡ってその時の思考や行動に焦点を当てます。 BCリーグにいたときの自分、就職して野球を続き得ていた時の自分、高校時代や中学時代、幼少期にまで遡って自分の生きてきた道を言語化してもらいます。 何が好きだった?何が苦手だった?なんで好きだった??なんで苦手になった??今までで一番バイオリズムの高いのは何歳の時?なぜそうなったの??逆にバイオリズムが一番低い時はいつ?なんでそうなったの??BCリーグで、職場で、高校で、中学で周囲からはどんな人間って言われていた?自分ではどう思う??などなど、彼からの言葉を大切に拾っていきます。   怪我をして実力を発揮できない辛い日々、でも諦めずにトレーニングに明け暮れた日々、キャリアハイの成績でも家族のためにバットを置く決意、「やり切りました!」爽やかな彼の迷いない言葉に信頼がおけました。 決して口数は多くなく、むしろ口下手な彼、でも私には映りました、忍耐力、継続力、向上心、そして謙虚さ素直さ実直さ…絶対に彼は成功する、そう強く信じられました。   数字の世界で生きてきたし、これからもそんな世界に身を置きたい、家族を養うためにこれからはしっかり稼いで楽をさせてあげたい、そのためならどんな苦労も苦じゃない、そんな強い意志を感じました。   面接に向かうまでたくさん会話しました。 今や遠方でもオンラインと言う武器があり、顔を見ながらしっかり向き合い続けました。 業界研究、それはそれは社会を知らない選手たちとは一番難しいところかもしれません。 でも興味関心がどこに向いているのか注意を払いながら一緒に選んでいきました。 予想を覆した彼の志望する業界、今までの人生とは全くかけ離れている業界だけど、元来『布団も車も壺も保険も売れる営業マン』を育てたいと言ってきた私、業種業界は関係なく成功する営業マンとしての品格が彼には備わっていると思いました。   面接対策、彼が一番自信がないであろう、伝える力。 どうしても論理的に話せない、長くなる節がある彼にこう伝えました。 「聴く力があるからこその伝える力、あなたは人の話が聴ける男、それを存分に伝えておいで。営業マンは話が旨い人よりも聴くのがうまい人の方が成功するんだよ!」   なんと、私が提案した最初の1社で即内定が出ました。 それも最終を飛ばしての内定、彼のポテンシャルをしっかり掴んでくれたのでしょう。 2社目は残念ながら最終で不合格でしたが、これも相性と彼には伝えました(笑) まずは受け入れを決めてくれたE社さん、そして縁の下で支えてくれたNさん、ありがとうございました。 彼は年明けの入社に向けてすでに目線は前に上に向いています。 むしろ入社後も精一杯彼と向き合って応援していきたいと思います。   みんながみんなこんな感じなら苦労しませんが、それがそうでもないんです(苦笑) なぜか目線が高いやつ、どうしても野球を切り離せないやつ、保守的で悲観的なやつ、 野球選手も人間、人生いろいろ、十人十色、決して押し付けず、彼らが気づき考えて自己理解を果たせるまで諦めず向き合っていきます。   野球選手だけではありません。 36歳女性、短大卒、年齢と学歴で諦めてますが、でもあなたにはネイティブレベルの英語があるじゃない!?彼女がそれに気が付いているかどうか。 25歳女性、高校を出て夜の飲食でしか働いてない、でもそこで培ったあなたの目配り気配りは俺には十分伝わってます。 25歳男性、俺に相談すればよかったのに生命保険の世界に、案の定嫌いになった…。 でも成績は入社以来半年間ずっと1位、その見上げた根性はほかでも活きるはず。   営業の世界から人材の世界へ。 改めてこれぞラストジョブ、天職だと感じています。 これから採る➡育てる➡評価する、の3つのフェースで世の中に貢献したいと思います。 つづく

YELL~あなたへの応援歌♬ 2021Track.11~『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~プロ野球選手のセカンドキャリア事情~』

2021/11/01 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌♬ 2021Track.11~『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~プロ野球選手のセカンドキャリア事情~』

NPB、日本プロ野球も優勝チームが決まり、ポストシーズンが始まります。 ちなみに今はヤクルトファンの私、そして子供の頃は阪急ファンだった私、両チームの優勝は何気に嬉しいです。 私は金満経営系があまり好きじゃないのでセリーグのGとパリーグのHはアンチです(笑)   それは置いて私は3年前からプロ野球独立リーグのルートインBCリーグのセカンドキャリアスポンサーをしています。 その彼らもシーズンが終わってストーブリーグに入りました。 私のこのコラムのタイトルでもある、『25歳の君へ…』はまさに彼らを想い選んだ言葉。 25歳で多くの選手は野球人生にピリオドを打ち、次のキャリアを歩み始めます。 そんな彼ら、そして野球をせずとも今思い悩む同世代の君へ言葉を寄せたいと思います。 これは私が寄稿したBCリーグの冊子、全国の学校に届けられた記事です。   n  キャリアの選択に直面した選手たちから感じる覚悟の差 『選択⇒責任⇒覚悟⇒行動⇒結果』 誰にも共通に存在する選択権、何を選ぼうとその人の自由である、でもその選択には選んだという事実=己の責任が宿っていることを忘れないこと、その責任は自覚、覚悟に他ならず、覚悟が決まると人間行動に移せるもの、逆に覚悟が決まらなければ何かしら躊躇して一歩が踏み出せない、覚悟とは自分を信じること、自信とも言える。 行動に移さなければ結果など出る訳もなく、結果が出ないその人には覚悟が足りないとも言える。   2年間で100名以上の選手たちとコミュニケーションを取りました。 どの通信手段を経ても選手の心境は不思議と感じ取ることができます。 野球を辞する決意が読み取れる選手、未練が拭い去れない選手、これから何をしていいか呆然としている選手。 何をしてよいのか分からない、これならば一緒に考えることができます。 しかしながら未練があっては前に進むことはできません。 続けるならばしっかり続ける、辞めるならばスパッとやめる。 その自覚と覚悟がそのまま就職戦線での戦いぶりに出ているように感じています。   n  印象に残ったカウンセリング事例 CASE① 自己対峙をせずに就職、即退職をして迷走する選手たち 1年前に面倒を見た選手、私に相談もほどほどで自分で就職を選んだものの、あっという間の3か月で退職をしたと耳にしました。 話を聞いてみると、迂闊に紹介された会社に就職をした、思いのほか野球をやっている頃の情熱を仕事で感じない、いつの間にか働く気力も失せて退職、アルバイトで食いつなぐも生活がせいぜいで、生まれ故郷に帰りもう一度出直すことに。 もっと最初にしっかりと自己対峙することができなかったのだろうか。   CASE② どうしても野球から離れられない、理想と現実の狭間に苛まれる選手たち 野球にはどんな形であれ野球に関わっていきたいと話す選手たち。 よくよく話すと自分には野球しかないと豪語する選手たち。 野球以外やったことないからわからない、野球しか自信が持てることがない、野球ができるなら他には何もいらない、そう口々にする選手たち。 野球を切り離して考える習慣が今までなかったからだけで、俯瞰する経験がなかっただけに過ぎないのです。 私はこう話します、職業人としての野球人には印籠が渡されたんじゃない? ここを飲み込めた選手たちは思考が変わります。 選手として報酬がもらえる器じゃない、だから報酬がもらえる選手を育てる方にこれからは回りたい。野球をこれからは趣味として楽しみたい、仕事を精一杯したその週末には地元の仲間との草野球で汗かきたい。これからはDXの時代、データを通じて野球界に貢献したい、一から学校で学んでいずれその道に進むために、学校に行く資金を一生懸命働いて貯めたいと思います。 思考の枠を取り払ってあげることで、野球との新しい関わり方に気づき考える選手たちには自ずと明るい未来が開けている、そう信じています。   CASE③ 何も考えられない、何をしていいかわからないと言う選手たち 昨日まで一生懸命野球のことだけ考えて、グラウンドで汗かいていた選手たち。 明日からはボールもグラブもバットも要らないと言われたら放心状態になって当然。 野球を手放したら何ができるのか、世の中にどんな仕事があって自分には何ができるのか、皆目見当が付かないと話す選手たち。 実はこんな選手が一番キャリアの棚卸がしやすく、どんどん自己対峙も進んで就職も決まりやすいというのは驚きませんか。 なぜ彼らは早く就職が決まるのか、それは『素直』に自分と向き合えているからに他ありません。 子供の頃どんなことに興味があった?何か得意なことあった?どんなことが好きでどんなことが嫌い?スーツを着たいか、そうじゃないか。椅子に座るのがいいか、外を飛び回るのがいいか、営業ならば自分の成果を正当に報酬で返して欲しいのか、それとも残業もあまりなく、土日もしっかり休めるような仕事のが興味があるか。 どんどん飲み込んでどんどん選択し、そして職業選択を自らがして、そして適応する会社を選ぶことができる。 これは問答を続けながら自己理解が進んでいる証、その自分の意思決定を大切に育んであげるサポーターとして私は選手たちと関わって行きたいと考えています。   n  セカンドキャリアに臨む上での気構え 『お金で決めない!先輩で決めない!!格好で決めない!!!』これに尽きます。   最初から高額な報酬を得たい気持ちは十分に理解できますが、後悔をする人たちを幾人も目にしています。高い報酬の企業ほど成果に厳しいのは当然であり、またある程度職や企業の選択によって得る報酬も推測できます。 当初は身の丈に見合った報酬を得る、成長に応じて報酬は上がるもの、その社会通念を育める社会人になって欲しいと願っています。   上下関係、師弟関係が厳しい環境で長年育ってきた選手たち。 礼節を重んじる姿勢、これは必ず次のキャリアで役に立つので大切にして欲しいです。 しかしながら自己理解せずにただ「先輩や監督コーチに誘われたからその会社に行きます!」は乱暴極まりないとキャリアアドバイスを通じて訴えたいと考えています。 紹介を受けた会社は果たして自分に相応しい仕事なのか、大切なことは自分の意志で決めること、ここに大切に育んだ礼節は不要です。   世の中には見た目に憧れを抱く格好いい仕事もあり、逆に見た目には泥臭く映り映えがしない仕事もあります。 それはあくまで見た目であり、先入観や固定概念に他なりません。 働いている人たちの使命感や意義までは見た目で読み取れるわけがありません。 その会社の社会への想いや事業への哲学、勤める社員の会社への愛情や業務への誇りなど、本質を理解して企業選択、職業選択をして欲しいと考えています。   n  これから野球界を背負う君たちへ 毎日毎日泥だらけで汗まみれで夜遅くまで白球を追いかけている君たち、憧れの球団のユニフォームに袖を通してグランドを駆け回る姿を夢見て頑張っている君たち。 今は24時間、365日野球にとことん打ち込むことを第一優先で考えて欲しい。 どうしたら会心のセンター前ヒットが打てるのか、どうしたらストライクゾーン低め一杯にキレキレのボールが投げられるのか、どうしたらレギュラーで使ってもらえるのか。 ただただそれに集中して諦めずブレず挫けず、自己研鑽に励んでほしいと願っています。 <BE>自分の在り方を考えて、<DO>その在り方の為に行動し、だからこそ<HAVE>夢が勝ち取れるのだと思います。   さて今日も2名の選手とオンラインで面談します。 1名は着実にキャリアを見つめながら、ちょっと優純不断なところもあるけど一歩ずつ歩みを始めていると感じています。 履歴書、職務経歴書、よく頑張って書けたと思います。 慣れないパソコンと自分と向き合っていい作品じゃないですか!? 1名はどうしても目線が高く、自己を高く見積もっているタイプ、ここは頭ごなしに話をしないで少しずつ現実を理解してもらう、時間がかかっても丁寧に向き合う。 あなたの夢、きっと今じゃなくその先に必ず叶うから、だからこそファーストキャリアの重要性、一緒に考えてみよう。 つづく

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.10『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~45歳定年制に我おもふこと~』

2021/10/01 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.10『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~45歳定年制に我おもふこと~』

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.10『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~45歳定年制に我おもふこと~』 高校時代の思い出話はまた次回として今日はスピンオフしますね。 タイトルにある『45歳』定年制、巷で話題になってますが皆さんご存知ですか?? 昨日の夜の報道番組で取り上げられていたので今日はこの議論について語ります。 啖呵を切ったのは現サントリー新浪社長、言わずと知れた敏腕経営者です。 彼は経済同友会の席でこう話したそうです。 「45歳定年制を敷き、個人は会社に頼らない仕組みが必要だ」と。   これでネットを中心に批判の的にさらされたようです。 「45歳で会社を馘になったら生活していけない」「弱者切り捨てに使われる」「非正規雇用の次は首切りか」 識者からも「人生100年時代に逆行した考え方」「企業は中高年の能力開発に努力すべき」「格差社会を助長するものだ」と若干?だいぶ?炎上気味です。   自分に置き換えてみるとこう思います。 私の45歳当時は責任のある部署を任されていたので、その考えにも及ばず至らず。 でもそんな機会がなかっただけで今この話を聞くと羨ましささえ覚えます。 ちょっと今回は過激に攻めてみてもいいですか!?   日本はもはや先進国ではない!そう思えてなりません。 身近な話で言えば英語が話せない先進国?ちょっと恥ずかしくなりませんか? ようやく小学生にも英語の授業が入っているようですが、使うための英語でなく試験対策の英語であったら全く活きた教育になりませんよね!? そんな私もサラリーマン時代はむしろ『やらされる英語』でしたので学んでいても楽しくない、今は英語を使う機会はなくともいつか大好きなハワイに行ってコミュニケーションをするために英語を毎日楽しく勉強してますよ(笑)   さて株や不動産を代表する投資や運用についてはどうでしょうか? これこそ金融後進国と言っても過言ではないように思えますね。 株は悪?現金のみ正義?だから学校で投資や運用を学ぶ機会すらなかった。 だから環境が整えられても勉強したことないから401kの運用先に現預金を選んでいる? 投資=経営でもあるので将来の起業家を育てるためにも不可欠だと思うんです。 下がったから売る、上がったから買う、全く理屈と逆なんですけど(苦笑)   英語学習も投資学習も今や少しずつ小学校などにも導入されているようで嬉しい限り。 英語を勉強する、投資を勉強する、進めば進むほどその子たちが日本の遅れを感じる、日本を離れていくのではないかと思えてなりません。 だって税金は高い、年金は危うい、国民皆保険だって将来どうなるのやら。 日本を飛び出して世界で活躍する、日本の将来を考えれば全然ありなんだと思います。 逆にすべての制度を維持しようと考えるのならば鎖国はやめてもっと外国人に頼ってもいいのではないかと思います。 いやぁ、こんな過激な発言思ってたけど言うのも書くのも初めてかも。   自分の意味は自分で守る。 まさに今回の新浪発言は今後の日本に大切な思考だと思うのです。 日本のいいところだったみんなで一緒にとか、困った人を助けるとか、それは素晴らしい考え方なので絶対忘れてはならない日本人の心だと思います。 でも全てにおいてそれが良いとは限りません、だって時代はどんどん進んでいる、自分たちはそうでも勝手に環境は変わっていくのですから。   VUCAの時代って言われますよね!?私の翻訳はこうです。 V=Volatility変動性 環境が変わるなら自分もそれに応じて変化をしていく U=Uncertainly不確実性 不確実だからこそ大きな果実を得る可能性が高くなる C=Complexity 複雑性 単純でないから唯一無二の存在になる A=Ambiguity 曖昧性 曖昧だからこそ本質を見抜く力が問われる   今回の『45歳定年説』はこのVUCAの時代を象徴した発言だったと思います。   終身雇用と聞いておかしいと思う人が増えてきて欲しい、だってそんな流暢な会社経営は高度成長期の話、今は経営を守る=皆さんを守るために会社も必死なんですから。 退職金だって早くもらって将来に備えた方が、運用の理屈を考えたら勝てる公算が高くなるって思いません?45歳で退職金上乗せしてもらえるなら有難くいただきましょう(笑)   私こそシニア55歳を迎える男です。 だから今のミドルシニアに奮起して欲しい、気づいて欲しい、考えて欲しいのです。 人生100年時代と言うのならこれからまだ半分、それ以上あるんですよ!? もう一回新たなステージに挑戦できる権利があるなんて素晴らしいこと。 だから私はそんなミドルシニアの応援がしたいと人材事業に進出したワケです。 『人生の七味』なんて言っている暇はない、さぁ勇気と元気を送らないと。 つづく

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.9『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~自己理解のコツは過去訴求にあり~』

2021/09/11 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.9『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~自己理解のコツは過去訴求にあり~』

  毎月1日にアップしてきたこのコラム、今月は事情があり今日9月11日になりました。 この9月がお陰様でアーヌエヌエも5期目を迎えましたが、その記念すべき日にホームページをリニューアルさせていただきました。 よってサイトが安定するまで少し時間を空けて今日になりました。 引き続き、アーヌエヌエとホームページ、そしてこのコラムもよろしくお願いします。   併せてご報告です。 晴れて8月1日に有料職業紹介の許可がおりました。 久しぶりにお役所の管轄下での仕事をすることになりましたので襟を正しつつ、でも少し突っ込んでキャリアプランニング等について書いていきたいと思います。 PRTIMESにも初挑戦しましたので機会あればぜひお読みください。   さて前回は私の高校時代の部活動、テニス部でのわがまま放題からの失敗から学びについて触れました。 今回は高校時代のもう一つの柱、アルバイトのことについて語って行きたいと思います。   高校2年生の時に自宅近所のデニーズで本格的にアルバイトを始めました。 部活もさぼる後ろめたさも感じながらもアルバイトに熱中しました。 同世代のアルバイト仲間やパートのおばさんたち、だいぶ年上の先輩や社会人の店長や社員の皆さん、多くの世代の皆さんに触れることで初めての社会人生活体験となりました。       学生時代のアルバイトって働いてお金を得ることの苦しさよりどちらかと言うより楽しさの方が勝っていて楽しいアルバイト生活だったことを覚えています。 みなさんは学生時代のアルバイトにどんな思い出がありますか。   アルバイトって恐らくその後のキャリアに大いに影響を与えると考えています。 高校時代に限らず就職の面接で語るテーマがアルバイトの就活生もたくさんいますしね。 アルバイトで得る経験、楽しさや苦しさは話題に事欠かないコンテンツなのでしょう。 この私も高校時代のデニーズでは『伝説のバスヘルプ』と言われていました(笑)   私が勤めた近所のデニーズは海が近いこともあって夏場はかなり混みました。 売上1日で1本、こんな言葉を覚えたのもこのアルバイト、1本=100万円。 売上1本達成の日はアルバイトでもご祝儀もらったり。 また、1本売り上げる日はホールからキッチンから裏の洗い場から戦場の如く。 バスヘルプ?この仕事は洗い場で洗い上がった食器やキッチン道具をどんどん元の場所に収めていく仕事、それだけでなく忙しい日はホールの女子を手伝いバッシング、テーブルのお皿を下げることや、キッチンのサポートで米を研いだり、冷凍庫から食材を持ち込んだり…それは目まぐるしい仕事の幅広さでした。   アルバイト初日の夜、今でも忘れないのは目を瞑ると皿がどんどん飛んでくる、それで全く寝られない、夢なのか起きているのか分からない、そんな記憶が今でも蘇ります。 そんな私が伝説のバスヘルプと呼ばれるまでに成長したのは??   まずは先輩方お教えが影響していました。 「手ぶらで動かない!」この言葉が今でも私の仕事の根幹にあるかもしれません。 私は要領が良いと言われますが、その要領はこの頃に得たスキルかもしれません。 いつも考えながら動く、一歩先イヤ2,3歩を見て考えて動く、<段取り力>は間違いなくデニーズで得た財産だと思っています。   いつの日かこの店になくてはならない存在になった私、3年生でアルバイトを上がることになった際には当時の店長から「そのまま社員で働いてくれないか、それが無理でも大学になってもアルバイト続けて売れないか」と誘われました。 高校生ながらに光栄だった記憶、今でも忘れません。   酒を教えてくれた先輩、手でゲロ吐いてごめんなさい(苦笑)今では無茶苦茶強いです。 高校の先輩がいて淡い恋心を覚え、女には今でも下戸かもしれません(涙) やがて逆に後輩女子に恋心を抱かれて困惑したり、当時の伝説のバスヘルプの相棒(コイツといると2人で3人前から4人前と言われた)とアルバイト帰りに海に行き、アルバイト先の女の子に恋する悩みを聞いてみたり…。 みんなみんないい思い出です。   そんなデニーズに今ではお客さんとしてたまに行きますが、やっぱり当時を思い出します。 「1分行ってきます」=トイレかぁ、「電話入ります!」=食事かぁ、和風ハンバーグ食べるのかなぁ(笑)なんて40年近く経つのに当時の社内用語を覚えている… 職業病?でどちらかと言えば働いている人の動きを見てしまう、「もう少し要領よく動けるのに」だから「手ぶらで動くな」なんて言いそうになります(笑) コロナで随分と苦境にさらされている飲食業界、私を育ててくれた飲食業界を働き手にはなれませんが金庫番として今後も支えていきます。~頑張れデニーズ~     つづく

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.8『25歳の君へ、54歳のあなたへ~自己理解をして調整力を身に着ける~』

2021/08/01 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.8『25歳の君へ、54歳のあなたへ~自己理解をして調整力を身に着ける~』

今日は開会式の翌々日、いよいよオリンピック始まりましたね。 始まったからには四の五の言わずに全力でアスリートを応援したいと思いました! 昨日は柔道をずっと見ていましたが、試合時間は4分、ゴールデンスコアーを含めても10分程度、こんなに真剣に柔道の試合を見たことないかも!?意外と短時間で勝負もついて、決まり手によってはスカッと爽快で、見る側も心地よいって感じました。 と言うことで我が高校生活からキャリアを考える…再開したいと思います。 せっかくなので部活、スポーツの側面から杉山豊を棚卸したいと思います。 小学校低学年中学年はサッカーに打ち込み、キーパにさせられたこともあって(苦笑)高学年になってから親父の影響もあり野球を始めました。 まぁ、ボチボチの感じでやっぱり観るほうのが向いてるかも、ってことで中学に入り流行りのエースを狙えに感化され(実は初恋の子が軟式庭球部に入部することもあって)軟式庭球の道に。なんで公式じゃないの??イヤイヤその時代には我が中学は軟式しかありませんでした。 平日も毎日、土日も朝から晩まで我ながらよく頑張ったと思います。 野球よりもマシな成績も収めて、高校に入っても躊躇することなく、軟式庭球部に。 またまた我が高校は軟式庭球しかなく、また初恋の子も同じ高校で軟式庭球部に入り、やっぱり続けるしかないよね!? ってどれだけ周囲に影響されているのか、影響されやすい性格は小学校の頃から通信簿に書かれ続け、振り返ってみても影響されやすい、よく言えばいろんなことに興味関心を示すこの性格はやはり今でも変わっていないと痛感します。 高校では同じ学区の顔の知れた中学のテニス仲間もたくさんいて、中には西湘地区で一番強かった湯河原のE君や小田原でいつも優勝争いする白鷗のH君、仲が良かった白山のC君やI君も入部、クラスも楽しかったけど部活もよいメンバーに恵まれました。 私は私より全然うまい仙石原のN君とペアを組んで何となく高校では3,4番手のポジションかなって感じでした。 今思うと中学も高校も指導者に恵まれたわけでもなく、どちらかと言えばエンジョイテニスだったのかな。 そんなある日、ペアのN君が退部するということに。 俺と組んで全然勝てないし、イヤになったかなぁ、でも当時高校でも2年の時はクラスメートで楽しく過ごしてたし…実はこれも影響して?影響されやすいなぁ。 私も部活は休みがちになり、仲間から出て来いよ、待ってるよと言われるも、たまに出てきてたまに休む、こんな感じになろうとは全く思いませんでした。 が、たぶん引き金になったとしたら、N君が辞めてペアを組むことになったのは高校から始めたばかりの初心者のC君。 決して上手かったわけでもないのに、なぜかそれを受け入れられなかった俺。 中学校でキャプテンになって自我を出した時と同じく、また自我が出てしまって決していい振舞はしていなかったと今思えば感じます。 完全にテニス熱はその時に冷めたように思います。 誰が悪いわけでもなく、完全に俺のエゴでしかない。 高校時代にいろいろ支えてくれた仲間たちに心からお詫びといお礼がしたい。 この影響されやすい性格は今でも変わらないが、いい意味でいろんなことに興味関心を示すことは変わらず、今はどちらかと言えば影響を与える側に少しはなれたような気がします。 また自分勝手でわがままである意味空気を読めないこの自分、たまに心の根っこから出てきそうな時がありますが、引っ込める術や我慢する技を少し身に着けたかもしれない。 でもヤキモチが寂しさが怒りに変わる二次感情的な悪さはたまに出てるような気がしています。 これは私の個性でもあるけど、協調性の欠如でもあるから絶対に気を付けるべしなんです。 なのでビジネスの局面では細心の注意を払いつつも今起業して自分の好きなことを自分らしくできることはらしさの結末だと考えています。 協調性はもちろん生きていくうえでとても大切な資質、でも自分の意思があるのにそれを抑えてその場凌ぎで同調するのはいかがなものかと、独立して改めて思います。 とても体に悪いストレスになる、部下にはまだしも上司には進言してもよいのでは。 ってサラリーマンはやっぱり疲れるよね…でも毎月決まった日に給料をもらえるのはそんな気苦労や我慢の分だって思わなきゃいけないのかもです。 でも俺はそんな彼らの目を覚まし、燻ぶった力を磨き起こし、中小企業に送る、それが最後に果たす我が仕事だと考えています。

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.7『25歳の君へ、54歳のあなたへ~いくつになっても夢は人を元気にする~』

2021/07/01 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.7『25歳の君へ、54歳のあなたへ~いくつになっても夢は人を元気にする~』

鬱陶しい梅雨の季節…一番嫌いです。 何せこの湿気に体力を奪われる感じが何とも居心地が悪い感じ。 ヘルニアも機嫌を損ねないようにこのところ股関節のストレッチに余念がありません。 今日は自分の人生の振り返りを小休止して、タイトルの年齢そのままの最近の出会いとそのピソードをお披露目したいと思います。 そもそもなんで54歳のあなたにエールを送るのか。 もちろん私がその年齢であること、そしてその年齢の人たちがセカンドキャリア、サードキャリアに大いに悩み、壁にぶち当たり、『今』を受け入れるのに苦労していること。 この世代は振り返ること30年余り、当時はバブル真っただ中にありました。 その頃に大学を卒業する、その就職戦線はある意味異常で、場合によっては書類選考だけで内定がもらえると言うあり得ない時代でした。 そんな私たちは時を経て今や銀行では役職定年を迎え、60歳や65歳の退職に向けてカウントダウンが始まっています。 この間にバブル崩壊から失われた20年、ITバブルやリーマンショック、アベノミクスにコロナ禍を経て今の実態のない株価?株価市況そのものの乱高下さながらのリーマン生活。 スーツのVisual、スタイルも様変わりしているように時代も様変わりしました。 だって携帯電話なかったし、パソコンじゃなくてタイプライターだったし(苦笑) ある意味一生懸命会社に忠誠を果たしていたら、いつの間にかの浦島太郎状態。 その間に私は外資系の会社で揉まれて腕を磨き?50歳で起業をし現在に至る人間模様。 何せ銀行に入行した我が世代においては、まさかこんな時代になっているとは思いもせず。

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.6『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~人生のバイオリズムを振り返る意味~』

2021/06/01 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.6『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~人生のバイオリズムを振り返る意味~』

毎日梅雨空のように鬱陶しい、湿気ムンムンの日々が続いています。 みなさん体調いかがですか? 私はと言うと、実はヘルニア持ちでこの時季は結構厳しい戦いを強いられています。 『ギクッ』といかないように気をつけながら生活しています。 最近とある方に教わりました。 2000文字ぐらいが適切な長さじゃないかと…ってことはやっぱり長い(汗) ってことで今日から2000字界隈でキッチリ締めたいと思います。 前号までで中学校卒業まで遡りました。 私の今の骨格を作っているであろう高校時代、ひょっとしたら大学時代よりもある意味破天荒に楽しんだ3年間だったと思います。 今なら書ける?数々のエピソードは恐らく停学を最低3回は食らってても間違いないと思うのに、誰かに支えられてか実は一度も停学を受けることなく安全に過ごしましたwww 志望していた高校に入学できた私、自宅から自転車でわずか5分程度の道のりは中学校とさして変わらない距離でした。 その当時流行っていたロードマンを入学祝いに買ってもらっての通学、最初の登校日に「キャー、杉山君!!??」女子の奇声、同じ中学の先輩が手を振り騒いでいます。 同学年にモテずとも上下にモテるのは私の独自性??

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.3『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~消せない過去を今から育む~』

2021/04/01 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.3『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~消せない過去を今から育む~』

4月まで待ってくれない桜、もう何年も前から入学式は疎か卒業式でさえ待ってくれない。 昔から別れと出会いの象徴だった桜、温暖化もさることながら、54歳にもなると時代の変化、文化の変遷を感じずにはいられませんね。 前号でどうなっちゃうの俺???みたいな終わり方をしました。 ここから先は幼少期のスギヤマまでタイムスリップして人生振り返りたいと思います。 そんなのコラム!?そうなんですよ! 就職、転職、副業、それだけではなく、実は採用する企業側のブランディングにも生きて来た、歩んできた歴史を振り返ること、自身の変遷を知ることは決して疎かにできない大切な『準備』なのです。 さて、転職は一回だけだった我が人生、その転職を選ぶ際には、当時の彼女の影が大きかった、むしろ彼女の影しかなかったぐらいかもしれません(苦笑) そんな私の幼少期はそんな人の意見に左右されやすい子供だったのか…。 小学校時代に6年間先生のコメントに書かれ続けてきた我が象徴は『落ち着きがない』『人に流されやすい』でした。 小学校に上がる前から何を仕出かすかわからないくらい落ち着きがない子だったと思われます。 拾い食いはするは、迷子になるは、そのコメント正解!って感じだと思います。 とにかく人見知りはしなかったようで、会う人会う人に「ご機嫌いかが?」なんて話しかけてたそうです。 情緒に富んでたと思われ、よく笑うしそれに泣き虫だったし、このあたりは自分の骨子を作っている不変の性格、感情的や素直と言う特性の象徴でしょうか。 子供の頃から習い事はたくさんしていました?させられてきました(笑) 驚きますよ!?記憶する限りお絵描き、習字、そろばん、バイオリンに始まり、サッカーと野球。どれが大勢したの?何か今私の人生に役立ってる??キャリア形成の一助になってる??? 絵はその後の図画工作の独創性に活かされたように思います。 なんか怪しげな、人と違うものをよく作ってました。 この独創性は奇想天外で柔軟性、人と違うことに目が向く、反対を考える、今、十分に活かされてるかもしれません。 でも今となって思うのは職人だった親父の血を全く継いでおらず、生粋のブキッチョは今も変わりなく、嫁に呆れられる始末。 家での役割責任は完全に逆転していて、大工仕事は嫁、じゃあ家事仕事はやるの?できません!イヤできません、イヤイヤやりません、やれません、威張るところではないですが、 でも、料理をマジでやったら創作料理はいけるかも??(じゃ、やれって感じですね) 手先を使う仕事、繊細な職人仕事、単調な仕事…恐らく選ばないし不適格だと思います。 バイオリンはそのうちギターに変わっていました、ギターとして使ってました(苦笑) あの当時にバイオリンするなんて驚きのお坊ちゃまですが、続けていたら金がかかってたでしょうからやってなかった?イヤ音楽は無茶苦茶成績よかったんですよ! 特に知る人ぞ知る歌は絶対音感があるようで、今でも自慢できるものと言えば『歌』って胸張って言います。どこに出ても賞をとれるレべル?ピンクレディーを子供の頃から弟と歌わされ、沢田研二のダーリングで野球チームのコーチや友達を驚かせ、添乗ではお客様に喜ばれ、カラオケ大会では入賞し、カラオケの点数は90を切らない、歌手になればよかったかなぁ、今でも演歌で行けるかな(笑)これはラストキャリアで考えよう。 方やスポーツ、小学校の低学年ではサッカーをしていました。 ひょっとしたらモノになったかもですが、足が速くないのも自負してたし、全然太ってなかったのにキーパーをやらされることになり退団。 でも実は最優秀選手で表彰されたぐらいの腕前だったんですよ(驚) 今でも思い出す、母の日に最優秀選手で賞状もらってきたときに喜んでもらったなぁ。 小学校中学年?高学年から野球に転向。 父は野球が好きで最初から野球をさせればよかったのに、私はサッカーに寄り道して、弟は野球から開始。自分自身も野球してたし、私たちの朝練の送り迎えや試合観戦も一生懸命付き合ってくれていた記憶があります。 私には野球センスはそんななかったかも…レギュラーではなく補欠、ゴロを裁くのがチョー苦手だったかも、顎に当たるのが怖いのか、腰高な構えだった。 むしろ弟はセンスがあってバリバリレギュラー、実はこの弟が野球を続けていれば人生変わったんじゃないかなぁって今思うんです。(弟の話はいつか…) 私はと言えば、レギュラーが全員不在の時の4番打者、笑える。 でも最後の最後に未完の大器?はその片鱗を見せ始め、ヒットを量産?練習でもセンター前にしっかりはじき返し、小学校6年生最後の最後に、魅せた感じ。    

YELL~あなたへの応援歌~ 2020 Track.12『逆参勤交代が働き方を変える、地方を変える、あなたを変える』

2020/12/01 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌~ 2020 Track.12『逆参勤交代が働き方を変える、地方を変える、あなたを変える』

思い起こせばコロナに始まり、コロナに終わる2020年。 春も夏も秋も冬も、季節感を感じることなく毎日が過ぎていく感じでしたね。 桜も見てない、海にも行ってない、紅葉も楽しんでない、そしてこの冬は大好きなハワイにも行けない(涙) さて皆さんの2020年はいかがでしたか。 私はまさかまさか?予想通り?の急転直下の低空飛行状態を迎えています。 私のビジネスモデルは外部環境に弱いのは承知の上で立ち上がりました。 SWOTの強み×機会をしっかり考えて臨んだこの事業は、創業3年は思った通りにイヤそれ以上に順調だったように思います。 また2本柱に据えていた、副業と言っては怒られますが、研修などは実は二の次だったのに、その研修も数多くお引き受けできたことで完全に利益貢献してくれていました。 私の中でのSWOTのTはまさに外部環境による委託契約先の不振、バレンタインからコロナに至るまで、その波は私に向かって襲い掛かってきました。 3期目の終わる8月までに新規事業の準備をしっかり進めて4期目を迎える、準備のための前期が全く準備に時間をさけず、最後には自身がコロナに罹患する顛末に。 4期目に入ってこの3か月、売上は通常時の30%ダウンの状態。 意地でも黒字を掲げている私にとって最優先にすべきは止血、これは奇しくも外資系で身についている常套手段。 役員報酬を下げる、不必要な固定費にメスを入れる、全く躊躇なく即行動してお陰様でホント意地の黒字をなんとか続けています。 そんな私もこの1か月半は明日のための1か月半、恐らく創業以来一番忙しく飛び待ったかもしれません。 もちろん委託契約先の仕事はしっかりと行いつつ、野球選手のセカンドキャリアの仕事に多くの時間を割きました。 今もまだその最中ではありますが、振り返ってみると深呼吸するひますら感じない、いつもなら5時には飲みにでも繰り出しそうな私が、ZOOM面談に夜を費やす。 40名を超える選手とLINEやZOOM、そしてリアル面談で話をしました。 そして野球選手を採用したい、そんな企業さんに出向いてたくさん話をしてきました。 やりたい仕事が決まっている、そもそもどう踏み出していいかわからない。 野球はできれば続けたい、野球はもう考えたくない。 それぞれの選手の意向を汲み取りながら、私の真骨頂である勇気と元気を送り、その気にさせるスタイルで幾度となく話を重ねてきました。 希望業種や職種があれば迷わずに進ませる、迷ったら敢えて違う業種職種を見せる。 全く踏み出せない子にはとにかくいろんな会社を見させることでイメージを沸かさせる。 キャリアコンサルなど経験のない私、人事部で仕事などしたことのない私、でも目の前の相手としっかりひざを着け合わせ四つを組んで真っ向勝負していれば自ずと信頼が生まれて、きっといい就職支援ができると思っています。 私は中小企業の廃業を食い止めたい男です。 この野球選手の就職支援がその中小零細企業の事業承継問題、後継者不足のカンフル剤になれば、そう思ってそう信じて前に進んでいます。 一方で企業側の手応えも十分感じています。 私は売上に一番重要な要素はマーケットがあるか、マーケット選択が間違っていないかだと思っています。 私は営業を仕事にしていますが、営業力ではなくむしろその市場選択が一番重要だと考えて行動しています。 だからこそその求人側にも手ごたえを感じずにはいられないのです。 必ずや次のもしくはその次の経営者として彼らが活躍する、できる、そんな絵が頭に浮かびます。 さてこれからこの事業を私の主軸に育てるためには、今の野球選手のセカンドキャリアはフックに過ぎません。 私のもうひとつの市場は私が育った金融機関、それも生命保険会社を筆頭に、ミドルシニア層に新しい働き方を推奨していきたいのです。 私も54歳、たまたまお前だからとは言われる起業でしたが、そんなことはありません。 もう一度目を覚まして、気持ちに火を着ければ起業なんて全然可能です。 年収に固辞する時代ではありません。 その年収が下がっても副業が許されるならそこを頑張って収入逆転させればいい。 その上で起業の準備もできるのだから未来は明るい。 生まれた地に帰りたい。 地方創生と言われるこの日本の未来は、案外学生さんが地方に留まること、そしてこのミドルシニアが生まれ故郷に帰り、中小企業に就職してその手腕を振ることではないかと思っています。 地方創生×中小企業×働き方改革×ミドルシニア これが私のジョブキャリアの集大成の仕事、そう思っています。 ハワイで甘味処?はもう少し後にしよう。 つづく