株式会社アーヌエヌエ

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アーヌエヌエからのお知らせ

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YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.9『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~自己理解のコツは過去訴求にあり~』

2021/09/11 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.9『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~自己理解のコツは過去訴求にあり~』

  毎月1日にアップしてきたこのコラム、今月は事情があり今日9月11日になりました。 この9月がお陰様でアーヌエヌエも5期目を迎えましたが、その記念すべき日にホームページをリニューアルさせていただきました。 よってサイトが安定するまで少し時間を空けて今日になりました。 引き続き、アーヌエヌエとホームページ、そしてこのコラムもよろしくお願いします。   併せてご報告です。 晴れて8月1日に有料職業紹介の許可がおりました。 久しぶりにお役所の管轄下での仕事をすることになりましたので襟を正しつつ、でも少し突っ込んでキャリアプランニング等について書いていきたいと思います。 PRTIMESにも初挑戦しましたので機会あればぜひお読みください。   さて前回は私の高校時代の部活動、テニス部でのわがまま放題からの失敗から学びについて触れました。 今回は高校時代のもう一つの柱、アルバイトのことについて語って行きたいと思います。   高校2年生の時に自宅近所のデニーズで本格的にアルバイトを始めました。 部活もさぼる後ろめたさも感じながらもアルバイトに熱中しました。 同世代のアルバイト仲間やパートのおばさんたち、だいぶ年上の先輩や社会人の店長や社員の皆さん、多くの世代の皆さんに触れることで初めての社会人生活体験となりました。       学生時代のアルバイトって働いてお金を得ることの苦しさよりどちらかと言うより楽しさの方が勝っていて楽しいアルバイト生活だったことを覚えています。 みなさんは学生時代のアルバイトにどんな思い出がありますか。   アルバイトって恐らくその後のキャリアに大いに影響を与えると考えています。 高校時代に限らず就職の面接で語るテーマがアルバイトの就活生もたくさんいますしね。 アルバイトで得る経験、楽しさや苦しさは話題に事欠かないコンテンツなのでしょう。 この私も高校時代のデニーズでは『伝説のバスヘルプ』と言われていました(笑)   私が勤めた近所のデニーズは海が近いこともあって夏場はかなり混みました。 売上1日で1本、こんな言葉を覚えたのもこのアルバイト、1本=100万円。 売上1本達成の日はアルバイトでもご祝儀もらったり。 また、1本売り上げる日はホールからキッチンから裏の洗い場から戦場の如く。 バスヘルプ?この仕事は洗い場で洗い上がった食器やキッチン道具をどんどん元の場所に収めていく仕事、それだけでなく忙しい日はホールの女子を手伝いバッシング、テーブルのお皿を下げることや、キッチンのサポートで米を研いだり、冷凍庫から食材を持ち込んだり…それは目まぐるしい仕事の幅広さでした。   アルバイト初日の夜、今でも忘れないのは目を瞑ると皿がどんどん飛んでくる、それで全く寝られない、夢なのか起きているのか分からない、そんな記憶が今でも蘇ります。 そんな私が伝説のバスヘルプと呼ばれるまでに成長したのは??   まずは先輩方お教えが影響していました。 「手ぶらで動かない!」この言葉が今でも私の仕事の根幹にあるかもしれません。 私は要領が良いと言われますが、その要領はこの頃に得たスキルかもしれません。 いつも考えながら動く、一歩先イヤ2,3歩を見て考えて動く、<段取り力>は間違いなくデニーズで得た財産だと思っています。   いつの日かこの店になくてはならない存在になった私、3年生でアルバイトを上がることになった際には当時の店長から「そのまま社員で働いてくれないか、それが無理でも大学になってもアルバイト続けて売れないか」と誘われました。 高校生ながらに光栄だった記憶、今でも忘れません。   酒を教えてくれた先輩、手でゲロ吐いてごめんなさい(苦笑)今では無茶苦茶強いです。 高校の先輩がいて淡い恋心を覚え、女には今でも下戸かもしれません(涙) やがて逆に後輩女子に恋心を抱かれて困惑したり、当時の伝説のバスヘルプの相棒(コイツといると2人で3人前から4人前と言われた)とアルバイト帰りに海に行き、アルバイト先の女の子に恋する悩みを聞いてみたり…。 みんなみんないい思い出です。   そんなデニーズに今ではお客さんとしてたまに行きますが、やっぱり当時を思い出します。 「1分行ってきます」=トイレかぁ、「電話入ります!」=食事かぁ、和風ハンバーグ食べるのかなぁ(笑)なんて40年近く経つのに当時の社内用語を覚えている… 職業病?でどちらかと言えば働いている人の動きを見てしまう、「もう少し要領よく動けるのに」だから「手ぶらで動くな」なんて言いそうになります(笑) コロナで随分と苦境にさらされている飲食業界、私を育ててくれた飲食業界を働き手にはなれませんが金庫番として今後も支えていきます。~頑張れデニーズ~     つづく

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.8『25歳の君へ、54歳のあなたへ~自己理解をして調整力を身に着ける~』

2021/08/01 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.8『25歳の君へ、54歳のあなたへ~自己理解をして調整力を身に着ける~』

今日は開会式の翌々日、いよいよオリンピック始まりましたね。 始まったからには四の五の言わずに全力でアスリートを応援したいと思いました! 昨日は柔道をずっと見ていましたが、試合時間は4分、ゴールデンスコアーを含めても10分程度、こんなに真剣に柔道の試合を見たことないかも!?意外と短時間で勝負もついて、決まり手によってはスカッと爽快で、見る側も心地よいって感じました。 と言うことで我が高校生活からキャリアを考える…再開したいと思います。 せっかくなので部活、スポーツの側面から杉山豊を棚卸したいと思います。 小学校低学年中学年はサッカーに打ち込み、キーパにさせられたこともあって(苦笑)高学年になってから親父の影響もあり野球を始めました。 まぁ、ボチボチの感じでやっぱり観るほうのが向いてるかも、ってことで中学に入り流行りのエースを狙えに感化され(実は初恋の子が軟式庭球部に入部することもあって)軟式庭球の道に。なんで公式じゃないの??イヤイヤその時代には我が中学は軟式しかありませんでした。 平日も毎日、土日も朝から晩まで我ながらよく頑張ったと思います。 野球よりもマシな成績も収めて、高校に入っても躊躇することなく、軟式庭球部に。 またまた我が高校は軟式庭球しかなく、また初恋の子も同じ高校で軟式庭球部に入り、やっぱり続けるしかないよね!? ってどれだけ周囲に影響されているのか、影響されやすい性格は小学校の頃から通信簿に書かれ続け、振り返ってみても影響されやすい、よく言えばいろんなことに興味関心を示すこの性格はやはり今でも変わっていないと痛感します。 高校では同じ学区の顔の知れた中学のテニス仲間もたくさんいて、中には西湘地区で一番強かった湯河原のE君や小田原でいつも優勝争いする白鷗のH君、仲が良かった白山のC君やI君も入部、クラスも楽しかったけど部活もよいメンバーに恵まれました。 私は私より全然うまい仙石原のN君とペアを組んで何となく高校では3,4番手のポジションかなって感じでした。 今思うと中学も高校も指導者に恵まれたわけでもなく、どちらかと言えばエンジョイテニスだったのかな。 そんなある日、ペアのN君が退部するということに。 俺と組んで全然勝てないし、イヤになったかなぁ、でも当時高校でも2年の時はクラスメートで楽しく過ごしてたし…実はこれも影響して?影響されやすいなぁ。 私も部活は休みがちになり、仲間から出て来いよ、待ってるよと言われるも、たまに出てきてたまに休む、こんな感じになろうとは全く思いませんでした。 が、たぶん引き金になったとしたら、N君が辞めてペアを組むことになったのは高校から始めたばかりの初心者のC君。 決して上手かったわけでもないのに、なぜかそれを受け入れられなかった俺。 中学校でキャプテンになって自我を出した時と同じく、また自我が出てしまって決していい振舞はしていなかったと今思えば感じます。 完全にテニス熱はその時に冷めたように思います。 誰が悪いわけでもなく、完全に俺のエゴでしかない。 高校時代にいろいろ支えてくれた仲間たちに心からお詫びといお礼がしたい。 この影響されやすい性格は今でも変わらないが、いい意味でいろんなことに興味関心を示すことは変わらず、今はどちらかと言えば影響を与える側に少しはなれたような気がします。 また自分勝手でわがままである意味空気を読めないこの自分、たまに心の根っこから出てきそうな時がありますが、引っ込める術や我慢する技を少し身に着けたかもしれない。 でもヤキモチが寂しさが怒りに変わる二次感情的な悪さはたまに出てるような気がしています。 これは私の個性でもあるけど、協調性の欠如でもあるから絶対に気を付けるべしなんです。 なのでビジネスの局面では細心の注意を払いつつも今起業して自分の好きなことを自分らしくできることはらしさの結末だと考えています。 協調性はもちろん生きていくうえでとても大切な資質、でも自分の意思があるのにそれを抑えてその場凌ぎで同調するのはいかがなものかと、独立して改めて思います。 とても体に悪いストレスになる、部下にはまだしも上司には進言してもよいのでは。 ってサラリーマンはやっぱり疲れるよね…でも毎月決まった日に給料をもらえるのはそんな気苦労や我慢の分だって思わなきゃいけないのかもです。 でも俺はそんな彼らの目を覚まし、燻ぶった力を磨き起こし、中小企業に送る、それが最後に果たす我が仕事だと考えています。

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.7『25歳の君へ、54歳のあなたへ~いくつになっても夢は人を元気にする~』

2021/07/01 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.7『25歳の君へ、54歳のあなたへ~いくつになっても夢は人を元気にする~』

鬱陶しい梅雨の季節…一番嫌いです。 何せこの湿気に体力を奪われる感じが何とも居心地が悪い感じ。 ヘルニアも機嫌を損ねないようにこのところ股関節のストレッチに余念がありません。 今日は自分の人生の振り返りを小休止して、タイトルの年齢そのままの最近の出会いとそのピソードをお披露目したいと思います。 そもそもなんで54歳のあなたにエールを送るのか。 もちろん私がその年齢であること、そしてその年齢の人たちがセカンドキャリア、サードキャリアに大いに悩み、壁にぶち当たり、『今』を受け入れるのに苦労していること。 この世代は振り返ること30年余り、当時はバブル真っただ中にありました。 その頃に大学を卒業する、その就職戦線はある意味異常で、場合によっては書類選考だけで内定がもらえると言うあり得ない時代でした。 そんな私たちは時を経て今や銀行では役職定年を迎え、60歳や65歳の退職に向けてカウントダウンが始まっています。 この間にバブル崩壊から失われた20年、ITバブルやリーマンショック、アベノミクスにコロナ禍を経て今の実態のない株価?株価市況そのものの乱高下さながらのリーマン生活。 スーツのVisual、スタイルも様変わりしているように時代も様変わりしました。 だって携帯電話なかったし、パソコンじゃなくてタイプライターだったし(苦笑) ある意味一生懸命会社に忠誠を果たしていたら、いつの間にかの浦島太郎状態。 その間に私は外資系の会社で揉まれて腕を磨き?50歳で起業をし現在に至る人間模様。 何せ銀行に入行した我が世代においては、まさかこんな時代になっているとは思いもせず。

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.6『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~人生のバイオリズムを振り返る意味~』

2021/06/01 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.6『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~人生のバイオリズムを振り返る意味~』

毎日梅雨空のように鬱陶しい、湿気ムンムンの日々が続いています。 みなさん体調いかがですか? 私はと言うと、実はヘルニア持ちでこの時季は結構厳しい戦いを強いられています。 『ギクッ』といかないように気をつけながら生活しています。 最近とある方に教わりました。 2000文字ぐらいが適切な長さじゃないかと…ってことはやっぱり長い(汗) ってことで今日から2000字界隈でキッチリ締めたいと思います。 前号までで中学校卒業まで遡りました。 私の今の骨格を作っているであろう高校時代、ひょっとしたら大学時代よりもある意味破天荒に楽しんだ3年間だったと思います。 今なら書ける?数々のエピソードは恐らく停学を最低3回は食らってても間違いないと思うのに、誰かに支えられてか実は一度も停学を受けることなく安全に過ごしましたwww 志望していた高校に入学できた私、自宅から自転車でわずか5分程度の道のりは中学校とさして変わらない距離でした。 その当時流行っていたロードマンを入学祝いに買ってもらっての通学、最初の登校日に「キャー、杉山君!!??」女子の奇声、同じ中学の先輩が手を振り騒いでいます。 同学年にモテずとも上下にモテるのは私の独自性??

2021/05/01 お知らせ

またまた世の中緊急事態宣言発令。 今日筆を執っている4月25日から、私の住む東京はまた戒厳令が敷かれました。 私は政治を語るのを公ではしない、そういう信念なのでここまでにします。 が、一言だけ言うならば「金ももらって頭もあるならもう少し真剣に考えようぜ」 前号では中学校に入るまでの我が人生を振り返りました。 なぜこんなことがキャリアを考えるうえで必要なのか。 子供の頃は野球選手になる!サッカー選手になる!!歌手になる!!!それも夢。 お嫁さんになる!ケーキ屋さんになる!!花屋さんになる!!!それも夢。 でもそうなった人ってどれぐらいいるんだろう…多くな狭き門で儚い夢であったり、また成長するにつれて興味関心が変わってまぅたく違う人生を歩んでいたり。 でもキャリアチェンジを考える時は今一度自分の人生を振り返ってみていいんじゃないかなぁ。何が好きで何が嫌いだったか、何が得意で何が不得意だったか、なんで好きでなんで嫌いだったか、なんで得意でなんで不得意だったか…。 その中に次のキャリアを考える重要なヒントがあったりしないかと考えるのです。 でも好きなことをできる人なんて本当にごく僅かで、多くの人が仕事に就いてみて好きになって、その中で夢を叶えていくもの、そう考えて欲しいことを付け加えておきます。 プラモデルが得意だった少年が、今や歯科技工士で頑張っています。 手先の器用さを最大限に活かせた仕事、きっと転職を経て幸せですよね!? 0より小さな数字が出てきた小学生時代から算数が大の苦手になり、それから先は算数、数学と赤点しか記憶のない少年が、縁あって保険会社に入社して目を見張る活躍する、これ実は私のことですwww 嫌い、苦手も、成長を経て克服することもあるのです! そんな杉山少年の中学時代をTrack.5では振り返りたいと思います。 小学校は学区で一番遠い方だった私、中学は自宅の真裏で徒歩3分ぐらい、恵まれた環境でした!?どうしてかって??この頃って一番難しい時代ですよね!?トイレで大するだけでイジメにあうようなそんな時代。 私は自宅に大をしに帰っていた記憶がありますw 中学校ではテニス部に入りました。 当時、『エースをねらえ』が流行っていて、その影響でテニス、でも中学には軟式しかありまでしたけど…。毎日毎日、日が暮れるまで、そして土日も練習頑張ってました。 顧問の先生はまさにエースをねらえのコーチである、宗形仁を意識した?狙ったかのような風貌で、そして女子の面倒しか見てなかったような覚えがあります。 だから毎年女子は強い、男子は??でもウチの代はクジ運にも恵まれて、中学校3年の時には地元小田原市の団体戦で準優勝したんです。 派手な3本線のadidasのユニホームにアルミのシャフトの銅色のラケットは割と地域では目立っていて隠れ?杉山ファンも他の中学にいたように聞いてました。 中学でも同級生にモテずとも後輩にはチヤホヤされていたような…。 でも本当は小学校からの初恋の子がテニス部にいて、その恋は叶わなかったんだよね。 今では隠すこともなく公然とその名前を多くの友達に自らバラしてます。 そんなことよりもテニス部での記憶と言えば、苦い経験のが今でも残ってるかなぁ。 なぜか私はキャプテンに指名されました。 当時のメンバーはなかなかいいメンバーで、そのまま3年間一緒にできればたぶん準優勝どころか、もっといい線行ったんじゃないかなぁと思います。 そのまま3年間?そうなんです。私がキャプテンとして機能せず、多くの仲間を失ったのです。 理由は聞いた訳ではありませんが、たぶん自我欲求が強くて傲慢強引でみんなに背を向けられたのだと想像します。 私はチームで2番手でしたが、1番手の前衛と私のペアも退部してしまいました。 この経験、大いに生きたのは遥かあとの38歳ぐらいだったかもしれません。 人間、立ち場に溺れ、成績に自惚れ、まったく愚かだなぁと今でも思います。 たぶんその中学生時代には克服できたとは思いません。 ただ、当時の1年下の後輩と組んでそれ相応に頑張り、その後輩たちは我々の代の夢を果たし小田原市で優勝した、高校生になった私はその優勝の光景を応援に行って間近に見て、涙ぐんだ記憶があります。

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.3『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~消せない過去を今から育む~』

2021/04/01 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌~ 2021Track.3『25歳の君へ、54歳のあなたへ ~消せない過去を今から育む~』

4月まで待ってくれない桜、もう何年も前から入学式は疎か卒業式でさえ待ってくれない。 昔から別れと出会いの象徴だった桜、温暖化もさることながら、54歳にもなると時代の変化、文化の変遷を感じずにはいられませんね。 前号でどうなっちゃうの俺???みたいな終わり方をしました。 ここから先は幼少期のスギヤマまでタイムスリップして人生振り返りたいと思います。 そんなのコラム!?そうなんですよ! 就職、転職、副業、それだけではなく、実は採用する企業側のブランディングにも生きて来た、歩んできた歴史を振り返ること、自身の変遷を知ることは決して疎かにできない大切な『準備』なのです。 さて、転職は一回だけだった我が人生、その転職を選ぶ際には、当時の彼女の影が大きかった、むしろ彼女の影しかなかったぐらいかもしれません(苦笑) そんな私の幼少期はそんな人の意見に左右されやすい子供だったのか…。 小学校時代に6年間先生のコメントに書かれ続けてきた我が象徴は『落ち着きがない』『人に流されやすい』でした。 小学校に上がる前から何を仕出かすかわからないくらい落ち着きがない子だったと思われます。 拾い食いはするは、迷子になるは、そのコメント正解!って感じだと思います。 とにかく人見知りはしなかったようで、会う人会う人に「ご機嫌いかが?」なんて話しかけてたそうです。 情緒に富んでたと思われ、よく笑うしそれに泣き虫だったし、このあたりは自分の骨子を作っている不変の性格、感情的や素直と言う特性の象徴でしょうか。 子供の頃から習い事はたくさんしていました?させられてきました(笑) 驚きますよ!?記憶する限りお絵描き、習字、そろばん、バイオリンに始まり、サッカーと野球。どれが大勢したの?何か今私の人生に役立ってる??キャリア形成の一助になってる??? 絵はその後の図画工作の独創性に活かされたように思います。 なんか怪しげな、人と違うものをよく作ってました。 この独創性は奇想天外で柔軟性、人と違うことに目が向く、反対を考える、今、十分に活かされてるかもしれません。 でも今となって思うのは職人だった親父の血を全く継いでおらず、生粋のブキッチョは今も変わりなく、嫁に呆れられる始末。 家での役割責任は完全に逆転していて、大工仕事は嫁、じゃあ家事仕事はやるの?できません!イヤできません、イヤイヤやりません、やれません、威張るところではないですが、 でも、料理をマジでやったら創作料理はいけるかも??(じゃ、やれって感じですね) 手先を使う仕事、繊細な職人仕事、単調な仕事…恐らく選ばないし不適格だと思います。 バイオリンはそのうちギターに変わっていました、ギターとして使ってました(苦笑) あの当時にバイオリンするなんて驚きのお坊ちゃまですが、続けていたら金がかかってたでしょうからやってなかった?イヤ音楽は無茶苦茶成績よかったんですよ! 特に知る人ぞ知る歌は絶対音感があるようで、今でも自慢できるものと言えば『歌』って胸張って言います。どこに出ても賞をとれるレべル?ピンクレディーを子供の頃から弟と歌わされ、沢田研二のダーリングで野球チームのコーチや友達を驚かせ、添乗ではお客様に喜ばれ、カラオケ大会では入賞し、カラオケの点数は90を切らない、歌手になればよかったかなぁ、今でも演歌で行けるかな(笑)これはラストキャリアで考えよう。 方やスポーツ、小学校の低学年ではサッカーをしていました。 ひょっとしたらモノになったかもですが、足が速くないのも自負してたし、全然太ってなかったのにキーパーをやらされることになり退団。 でも実は最優秀選手で表彰されたぐらいの腕前だったんですよ(驚) 今でも思い出す、母の日に最優秀選手で賞状もらってきたときに喜んでもらったなぁ。 小学校中学年?高学年から野球に転向。 父は野球が好きで最初から野球をさせればよかったのに、私はサッカーに寄り道して、弟は野球から開始。自分自身も野球してたし、私たちの朝練の送り迎えや試合観戦も一生懸命付き合ってくれていた記憶があります。 私には野球センスはそんななかったかも…レギュラーではなく補欠、ゴロを裁くのがチョー苦手だったかも、顎に当たるのが怖いのか、腰高な構えだった。 むしろ弟はセンスがあってバリバリレギュラー、実はこの弟が野球を続けていれば人生変わったんじゃないかなぁって今思うんです。(弟の話はいつか…) 私はと言えば、レギュラーが全員不在の時の4番打者、笑える。 でも最後の最後に未完の大器?はその片鱗を見せ始め、ヒットを量産?練習でもセンター前にしっかりはじき返し、小学校6年生最後の最後に、魅せた感じ。    

YELL~あなたへの応援歌~ 2020 Track.12『逆参勤交代が働き方を変える、地方を変える、あなたを変える』

2020/12/01 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌~ 2020 Track.12『逆参勤交代が働き方を変える、地方を変える、あなたを変える』

思い起こせばコロナに始まり、コロナに終わる2020年。 春も夏も秋も冬も、季節感を感じることなく毎日が過ぎていく感じでしたね。 桜も見てない、海にも行ってない、紅葉も楽しんでない、そしてこの冬は大好きなハワイにも行けない(涙) さて皆さんの2020年はいかがでしたか。 私はまさかまさか?予想通り?の急転直下の低空飛行状態を迎えています。 私のビジネスモデルは外部環境に弱いのは承知の上で立ち上がりました。 SWOTの強み×機会をしっかり考えて臨んだこの事業は、創業3年は思った通りにイヤそれ以上に順調だったように思います。 また2本柱に据えていた、副業と言っては怒られますが、研修などは実は二の次だったのに、その研修も数多くお引き受けできたことで完全に利益貢献してくれていました。 私の中でのSWOTのTはまさに外部環境による委託契約先の不振、バレンタインからコロナに至るまで、その波は私に向かって襲い掛かってきました。 3期目の終わる8月までに新規事業の準備をしっかり進めて4期目を迎える、準備のための前期が全く準備に時間をさけず、最後には自身がコロナに罹患する顛末に。 4期目に入ってこの3か月、売上は通常時の30%ダウンの状態。 意地でも黒字を掲げている私にとって最優先にすべきは止血、これは奇しくも外資系で身についている常套手段。 役員報酬を下げる、不必要な固定費にメスを入れる、全く躊躇なく即行動してお陰様でホント意地の黒字をなんとか続けています。 そんな私もこの1か月半は明日のための1か月半、恐らく創業以来一番忙しく飛び待ったかもしれません。 もちろん委託契約先の仕事はしっかりと行いつつ、野球選手のセカンドキャリアの仕事に多くの時間を割きました。 今もまだその最中ではありますが、振り返ってみると深呼吸するひますら感じない、いつもなら5時には飲みにでも繰り出しそうな私が、ZOOM面談に夜を費やす。 40名を超える選手とLINEやZOOM、そしてリアル面談で話をしました。 そして野球選手を採用したい、そんな企業さんに出向いてたくさん話をしてきました。 やりたい仕事が決まっている、そもそもどう踏み出していいかわからない。 野球はできれば続けたい、野球はもう考えたくない。 それぞれの選手の意向を汲み取りながら、私の真骨頂である勇気と元気を送り、その気にさせるスタイルで幾度となく話を重ねてきました。 希望業種や職種があれば迷わずに進ませる、迷ったら敢えて違う業種職種を見せる。 全く踏み出せない子にはとにかくいろんな会社を見させることでイメージを沸かさせる。 キャリアコンサルなど経験のない私、人事部で仕事などしたことのない私、でも目の前の相手としっかりひざを着け合わせ四つを組んで真っ向勝負していれば自ずと信頼が生まれて、きっといい就職支援ができると思っています。 私は中小企業の廃業を食い止めたい男です。 この野球選手の就職支援がその中小零細企業の事業承継問題、後継者不足のカンフル剤になれば、そう思ってそう信じて前に進んでいます。 一方で企業側の手応えも十分感じています。 私は売上に一番重要な要素はマーケットがあるか、マーケット選択が間違っていないかだと思っています。 私は営業を仕事にしていますが、営業力ではなくむしろその市場選択が一番重要だと考えて行動しています。 だからこそその求人側にも手ごたえを感じずにはいられないのです。 必ずや次のもしくはその次の経営者として彼らが活躍する、できる、そんな絵が頭に浮かびます。 さてこれからこの事業を私の主軸に育てるためには、今の野球選手のセカンドキャリアはフックに過ぎません。 私のもうひとつの市場は私が育った金融機関、それも生命保険会社を筆頭に、ミドルシニア層に新しい働き方を推奨していきたいのです。 私も54歳、たまたまお前だからとは言われる起業でしたが、そんなことはありません。 もう一度目を覚まして、気持ちに火を着ければ起業なんて全然可能です。 年収に固辞する時代ではありません。 その年収が下がっても副業が許されるならそこを頑張って収入逆転させればいい。 その上で起業の準備もできるのだから未来は明るい。 生まれた地に帰りたい。 地方創生と言われるこの日本の未来は、案外学生さんが地方に留まること、そしてこのミドルシニアが生まれ故郷に帰り、中小企業に就職してその手腕を振ることではないかと思っています。 地方創生×中小企業×働き方改革×ミドルシニア これが私のジョブキャリアの集大成の仕事、そう思っています。 ハワイで甘味処?はもう少し後にしよう。 つづく

YELL~あなたへの応援歌~ 2020 Track.11『中小企業の後継者不足にカンフル剤、社名のごとくの私の使命』

2020/11/01 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌~ 2020 Track.11『中小企業の後継者不足にカンフル剤、社名のごとくの私の使命』

怒涛の出張、14日間の戦いが幕を閉じた今日、10月31日。 ようやく11月のコラムに手を着けることができました。 何がそんなに忙しいの?コロナ不況の真っただ中で営業に精を出しているのか!!?? 昨年から恒例の野球選手の就職支援の仕事、セカンドキャリアセミナーの登壇で東奔西走の日々でした。 BCリーグ、野球の独立リーグとしては最大の12球団の所帯です。 その1球団1球団に17日から歩き始め、今シーズン優勝した神奈川フューチャードリームスへのセミナーが今日の最終回でした。 別に人事部にいたわけでもないし、キャリアカウンセリングの経験もある訳でもないこの私がどんな話をしているのか。 今日はそんな話をさせていただきます。 今年のコアコンセプトは『社長になる夢、ビジネスでてっぺん取る夢を応援します』です。 中小企業の深刻な後継者不足、以前であれば廃業止むを得ずと思っていましたが、今は誰かが止めなきゃ、誰がやる??イヤ誰もやらなきゃ俺がやるってことで息巻いています。 日本を支える350万の中小零細事業者は社長の年齢は年々1歳ずつ上がりもう64歳? そして70を過ぎた経営者も半数に迫る勢いでその過半数に後継者がいない現状。 このまま放置すれば日本は人口も減るし、企業も少なくなるし、活気のない寂しい顛末、それでは全くこの日本に未来がない。 方や野球選手、26歳の年にNPBから声がかからなければみな引退を決意する。 26と言えばまだビジネスの世界ではヨチヨチ歩きを卒業するのが出始めるくらいのところ。 まだまだ可能性しかない、魅力的な年齢層です。 彼らはこう話します、「いずれ会社を経営してみたい、社長になりたい」と。 野球の世界でてっぺん目指してきた彼らの魅力は、ひとつのことをやり遂げるために磨いてきた集中力や、高みを目指すべく努力を惜しまない向上心、そして厳しい練習や勝負の逆境に耐える忍耐力、そして礼節を重んじる世界に身を置いてきたことで養われた礼儀作法。 一言で言うと彼らのお父さん世代である私にとっては可愛くて仕方ないのです。 そんな中小企業と野球選手のマッチングに貢献できないかと。 これがセカンドキャリアを支援する意味合いです。 彼らにはこう話しています。 「決してジョブホップするな、キャリアはちゃんとビルドアップしなさい!」 恐らく読者の皆さんも想像できるでしょう。 スポーツ選手の現役当時の華々しさと引退後の儚い現実。 あの有名だった選手が今何をしているのだろう…メディアに出ている人など本当にごく一部で多くの選手たちのその後はとても寂しいものだったりする。 最初の就職選びで気を付けること3か条を話します。 ① お金で仕事を決めない ② 先輩で仕事を決めない ③ 恰好で仕事を決めない 金を稼ぎたい欲は人一倍ある彼ら、特に独立リーグで金銭面の苦労している彼らにとっては高給を得ることは夢の夢かもしれません。 でも最初から高い報酬の会社を選ぶとどうなのか??それはみなさんの創造の範疇です。 報酬は入った会社で努力をして高くしていきなさいと話します。 厳しい上下関係で育った選手たち、イエスかはいしか言わずに育ってきました。 その先輩に相談し、良かったら俺の務める会社に来いよって言ってもらえるかもしれない。 でも私はこう諭します。 先輩が一生みんなの面倒見てくれると思う?先輩にも人生があるのだから。 先輩には相応しい職業かもしれないけどみんなに合っているとは限らない。 見た目良い恰好の仕事でも入ってみたら想像と全く違う格好悪い仕事、逆に見た目格好悪くても入ってみたらむちゃくちゃ格好いい仕事、かもしれないから先入観で仕事を選ばないことを約束して欲しい、と話します。 こういう子たちはジョブホップしやすい。 ではキャリアをビルドアップするためには?? 彼らには今や一生この会社で働きますなんて流行らないから安心しなさいと、むしろ意味ある転職ならば価値はもっと高い、自分のキャリアをアップするための転職ならば大いにした方がいいと話しました。 そこで間違えた就職選びをしないためにも自己対峙をしっかりすること。 これは私がこのコラムでさんざん書いてきたブランディングの世界と全く一緒です。 自己対峙をして自分を棚卸して自己理解をしっかりすること。 そのために人生を振り返ることを怠らない、学生時代や幼少期まで遡って何が得意で何が不得意だったか、何が好きで何が嫌いだったか、良いも悪いもすべて一旦受け入れる。 好きなことを仕事にできる人などほんの一握り。 みな選んだ仕事を好きになるよう努力をしているもの。 不得意なことにも挑戦し克服して好きになっていくことだってあるはず。 事実私は数字が大嫌いで、保険会社に入るとも思わなかったし、入った理由はただ単に当時の彼女に給料を抜かれ、「転職しなきゃ結婚なんてしない、私は銀行に入ったのだからあなたも金融機関がいい」で選んだ会社。 1年も経たずして彼女と別れて自暴自棄になり、成績も出ずにもうクビになると思ったところから一念発起して頑張ったからこそ今がある。 入った時の年収から5倍になった、出来損ないの営業マンが役員手前までイケた。 そんな話を30分ほどしました。 私はトップバッター、このセミナーは10時に始まり18時までの長丁場。 普段スーツを着て机に向かうなんてこともない彼らが、1日無駄にしないための心構えを話すのが私の役割でした。 お陰様で多くの選手たちがカウンセリングの希望をしてくれました。 彼らのこれからのために一生懸命自己対峙に付き合ってあげたいと思います。 そしてその中から一人でも多く、次の経営者を目指せる人材を中小零細事業者に紹介していきたいと思います。 本当はもっとセミナーの中身に触れたいところですが、たぶんもう10枚ぐらい書きそうなのでこの辺で。 コロナショックも精神的に癒えたのは彼らと会えたことに違いないでしょう。 元気と勇気を私ももらって11月は怒涛のセミナーラッシュ、通常が戻り始めます。 つづく

今年のセカンドキャリアセミナーは@鴻巣、武蔵ヒートベアーズの選手たちからスタート🎤

2020/10/17 お知らせ

今年のセカンドキャリアセミナーは@鴻巣、武蔵ヒートベアーズの選手たちからスタート🎤

今年のセカンドキャリアセミナーは@鴻巣、武蔵ヒートベアーズの選手たちからスタート🎤 今日から31日まで12球団の行脚が始まります🗾 先の予定は未定(笑) 敗北チーム順だから都合よく決められない💦 ちょっと避けたいのは金沢、富山、福井の3往復。って言っても頑張ってる選手たちに文句はありません♡ 第1発目、トップバッターとして朝から熱く吠えてきました📣 今年のコンセプトは「社長目指してビジネスでテッペンの夢叶えよう」 後継者不足、事業承継にカンフル剤注入します💉 だからみんな「金で決めない!先輩で決めない!カッコ良さで決めない!」 大切なのは自己対峙、徹底して自分自身と真剣勝負してください🙇🏻 さて明日は水戸にお邪魔しmuscle💪

YELL~あなたへの応援歌~ 2020 Track.10『来た、来た、私にも向かってきたコロナ危機』

2020/10/01 お知らせ

YELL~あなたへの応援歌~ 2020 Track.10『来た、来た、私にも向かってきたコロナ危機』

自身がコロナになり、そして病から立ち直ったと思ったところを経営にも病魔が。 3年は立ち上げた事業をしっかり行う、準備をしっかりした上で新たな事業展開をする4期目と創業の時から頭に入れていたその4期目がとても過酷な船出になりました。 でも起業した時にSWOTをしっかりやっているので、弊社にとって最大の脅威はまさにこの外部環境の変化にあることは理解していました。 (だからこその新規事業だったのに、少し出足が遅れました。) 業務提携先の景況感が悪くなれば真っ先に斬られる立ち位置なのが弊社です。 外注が害虫になりかねない(苦笑) 2期目の単月最高記録と比して先月は25%程度の売上、実は来月はもっと悪くなる…。 大丈夫?杉山!?って声は誰からも聞こえない(笑) ま、ほとんどこんな話してませんし、そんなガラには見えないでしょ!? でも無茶苦茶素直なので俺を知ってる人にはお見通しかも。 それよりもだって考えてみれば私は恵まれている。 1期目1月目から黒字スタート、少しいい塩梅を入れなければ恐らくここまでパンチアウトで黒字だったと思います。 なので先月は正真正銘の初めての単月赤字でした。 さて、こんな逆境だからこそどう立ち向かうか。 今年のテーマは『小さく始めて大きく育む~Shift The future~』です。 お陰様で一番大事な時間がクライアントの解約で生まれたので、この時間を新事業に費やします。 今まで行動に移すことがあまりできなかったことを、多少コロナの言い訳にしていましたが、1日最低1アクション、365日継続したら自ずと見えてくるはずです。 そして外資系に育ててもらってよかった(笑) 嫁に怒られそうですが、個人のコストには無頓着なのに会社のコスト意識は無茶高い私、コストの感性は決してCheapskateではなく、またlive beyond my meansでもない(※今日の英会話の成果(笑)英語が気になる方はぜひお調べください) 適切な場所に適切に投資をする、それが金額の多寡ではなく将来価値や効果でしか見てません。 使う時は徹底して使う、絞る時は徹底して?イヤ適切に絞る。 ってことで入りが少ないなら出を抑えるのがセオリー。 毎日無茶苦茶会計ソフトとにらめっこしています。 役員報酬をどうする?家賃はどうなの??そもそも販管費も種類あってFIXされたものとそうでないものをしっかり分けて考えねばならないはず。 私は雇われで赤字子会社の経営を任された経験があるので、意地でも黒字を信念として貫き通しています。 だからここまで真剣に数字とにらめっこなんです。 変化を嫌う、日本人独特の感性。 安心、安定を求める、日本人の独特の感性。 常識を重んじて非常識を避ける、日本人独特の感性。 周囲の目を気にして飛び出さないで横並びする、日本人独特の感性。 こういう最大の経営危機、どう考えますか? じっと動かない、慌てふためく、とにかく我武者羅に動く、どれも不正解だと思います。 しっかり地に足をつけて、次のことを考えながら、でも決して歩みは止めない。 今一番悩んでいるのが家賃、いわゆるシェアオフィスなのでかなり簡単に解約できる。 でもそもそも部屋借りる必要あったの?最初からなんて負担感大きくない!? でも格好つけるわけではないけど、公の組織に少し関わってたからやっぱり自宅より事務所はあったほうがいいよね!?って当時の思考を振り返る。 名刺に携帯電話のみだと少し恰好つかないよな。 だからIPフォンで固定電話を敷いた。 さて部屋を出co-workingスペースに出ると電話が使えない?使えないと言うことは名刺どうするの?無駄??いやペンで消せばいいじゃん。 プリンターやキャビネットどうするの、それって家に持って行けないよね!? なんていろいろ思考するが、最善を尽くした私の答えは年内には出るでしょう(笑) ところでこんな恥ずかしげもなくあからさまでいいの???これがザ・スギヤマです。 さて、ひとつだけ言えるのは大胆且つ繊細な舵取りを躊躇なくすること。 これはまさに私のこういう局面での真骨頂。 非常識でもどうでもいい、人の非常識が私の常識、その逆もある。 とにかく何が大切なの?今何を選択するのが大事なの??それを冷静に判断して行動に移したい。 だって会社は大きくするために経営してるんでしょ!? 自分の夢を果たすために会社起こしたんでしょ!? 悪くなることばかり想像していて何が面白い!?何のために仕事してるの!? それを毎日のように自分に言い聞かせながら、決して塞ぎ込むことなく、毎日明るく楽しく元気よく、生活しています。 さて来月のコラムはどうなることやら。 これ以上書くといつものように長くなるのでもうこの辺で。 ただし暴露すると、今プロント@武蔵中原で打ちまくっている私。 今日は1日、いつもなら朝イチでアップされているこのコラムも今作成中。 この動揺感が今の私を物語ってるかもしれない(笑) でも今日中にアップすればデッドラインセーフですからね!M本君。 つづく